昭和42年09月23日 朝の御理解



 この辺りは「よど」と言って秋祭りですね、必ずどこでもお饅頭を作ります。柏餅ですね、柏の木の葉をもってお饅頭を包みます。それが段々とこうもう遅うなってまいりますと、もうあの柏のもこうやって包んではいざめんですね。がめの葉饅頭をつくるのですが、がめの葉がなくなってまいりますから、それに変わってあのミカンの葉を使いましたり。あとは木の葉を使ったりいたしますですね。
 けれどもやっぱりあのうかしわ饅頭はやっぱりがめの葉がよいようですね。外の葉よりも一番体裁もいいし、どのからの葉にしたからというて、ミカンの葉にしたからと言うて、饅頭そのものに味は変わるはずないですけども。やはり折角のよど饅頭であれば、やっぱりがめの葉饅頭が一番良いようですね。そこに( ? )よどらしいお饅頭、夏のお饅頭らしいそのお饅頭になるわけです。
 今日はこちらは、秋の御霊様のお祭りが23日の月次祭に合わせて、午後1時から御座います。どれだけおられるやら分らんほどの沢山の御霊様達が、ここに縁のある限りの方達の縁に繋がって、今日の御霊のお祭りを( ? )ですからわざわざ教会でいろいろお供えを致しましたり、いろいる形式ばったことを致しましてから、ならお祭りをしなくても、まあ心で真心で( ? )もんですけれども。やはり御霊祭りを仕える。出来れば家族中の者が、玉串でもあげさせてもらう。
 真心込めたお供えさせてもろうて、お祭りを拝ませてもらうという所にです、本当にこの御霊様のお祭りらしいお祭りが出来るわけです。そこに私共も本当にお祭りを奉仕して良かったと思い。また御霊様もこよなく喜ばれる雰囲気のお祭りが出来るわけであります。言うならば饅頭だけお供えすれば良いというのではない、やはりあのそれはミカンの葉、がめの葉でも良いのですけれども、出来るならやはり、ゆずり葉饅頭がいい、がめの葉饅頭が良いようにです。
 やはりそういう気持ちを使わせて頂く、そういうここに思いを込めさせて頂くところにお祭りの意義が御座います。私しもう、夕べは殆ど休んどりません。今日は御祈念を御呼出しと言う事で一生懸命で御座います。目が明けとっても痛い様にあります。それこそ今申します様に、本当にどれだけ御縁頂いておりますやらわからん、沢山の御霊様たちが、今日のお祭りを本当に( ? )そういうひとつのまあとらせて頂いたけれども。それにただいま申します様にがめの葉饅頭と言う事を頂くんですよ。
 ですからがめの葉と言う、私その中から。まぁいうなら私しの信心って、ようなものを感じます。ですから御霊様のお祭りを奉仕させて頂くのにです。親先生ならどげな心持でどういうふうにしてお祭りを仕え、例えば先祖の御霊様にたいして、されるだろうかと。そこに合楽で信心の稽古をさして頂いておるものの信心が、その一線上に出とかにゃだめ、ここでは何と言うもまあ私しがいうならば上手、私しの信心を頂いてのいうなら今日である。( ? )
 こういう場合親先生はどう当られるだろう、こういう場合は親先生ならどういうふうに言われるだろいかと、こういう場合は親先生ならばどういうこころがなさるだろうかと言うふうにです、結局私の在り方と言うものを、皆さんの生活の場で表して行くと言う事がまぁ私しがいただいておるおかげを、皆さんもやっぱり一様に頂かれる様な事になる。もし私しに力を頂いたこんせつとするならばそういう力のときに、そういういわば私しに神習わして頂く信心から生まれて来るんだと、私は確信しとります。
 そうでしょうが、いくら教祖の神様がどうのこうのと言ったところで、今日の神様はもう百年も前にわかっていたのだから、だから私しは御教えを少しでも行事させてもろうて私しは今日この様なおかげを受けておるのである。ですから私はこの様なおかげを受けておる、そのおかげを皆さんに頂いてもらわなくてはならんのです。それにはこういうこれには親先生ならどうなさるだろうか、と言う様に一つには私は恐らく、今ここにお饅頭のお供えさせてもらうならばです。
 がめの葉饅頭、いわば夏のよるに作る様なお饅頭をつくるならば、私しやっぱり山までいってゆずり葉を千切って来て、そしてそのゆずり葉を使ってお饅頭を作るだろう。そんなみなさんの中にそう言う様な有り方にならして頂く事が、ここでは信心だと言う事になるのです。今日はそう言う意味でのお祭りを今日の一時から奉仕される分けで御座いますから、皆さんもまたそれぞれ思いを込めてして頂く、まぁ私し以上に思いを込めなさる方もございましょうけれどもです。
 込めなさる度合いというものがです、やはり私し流になさなければならんと言う様な事を朝の御祈念に頂いた様に思うので御座います。どうぞ本当にですね、これは昨夜の御祈念に善導寺の原さんがお参りしてみえましてから、皆さんあの御承知の方もございましょうけれども、勿体島にはらよしはるさんという方がここで、椛目時代に修行しておりました。その方亡くなりましたけれどもね。その方の御霊様をここでお預かりしております。善導寺の原さん達を導いた方でもあるんです。
 前青年会長の当時の青年少女会の御用をしとりましたひとですけれど、そのはらよしはるさんのお父さんも、その後に亡くなっておられますけれども。そのとき私しはぜんぜん無関係のように思うておったんですけれども。やっぱもうそうですかと言うて、改めてその感じたんですけれども、原さん、原の御主人のお夢の中にですね、はらよしはるさんのお父さんが出て見えて、私も連れて行ってくれっていうわけ、それであんたも死んじゃるじゃけぇあんた帰んなさいちゅてから、気持ちが悪うてわざわざ追い返した様なところのお夢を頂いた。
 そうしたら、もう一つは明日の御霊様祭りには、息子のよしはるさんも、ほかの御霊様もここでお祭りを受けるのだから、その私も連れてってくれ、椛目の信心を同時にお父さんも知っておられましたのですから、それから同時に導からた人のお父さんでもありますから。別に手に手をつないではないのですから、その御霊様のご通知を頂いてどうせはらよしはるさんのお父さん、名前は忘れましたけれど、整った人でした昔の人はらなんとかちゅ人。その御霊様の事も昨夜、名札だけは付けさせて頂きましたけれどね。
 そう言う様な、延々と繋がる限りない御霊様達が、今日の御霊のお祭りにはいわば出席される。お祀りをうけられる度におかげをうけられるのでございますから、皆さんのこれは、私の方は仏教だからとかなんとか言う事はございません。本当に今日の天地の親神様のお許しを頂いて、そして今日の御霊いわば霊祭のお祭りに合われるということ、皆さんの祖先の御霊様に合われる、それも本当にですねこうして、もっともっと私しの実感を申し上げたいですけれども。
 皆さんお分かりにならんから申しませんけれども。本当にあのうそのお祭りを受けられる御霊様、また今日のここで玉串を上げられ取交されて、御霊様の前にお供えなさる、御霊の満足そうな顔とでも申しましょうかね。仏様の喜びとでも申しましょうか。それを私しが中で取り次がせて頂くのでございますけれども。それはここに浮かばれてない御霊の助かりを、ここに出てない御霊を感じるのです。
 そういう早くお祭りに御参拝頂けます様に。ここでは常日頃皆さんがここで信心の稽古をなさっておられる。いわゆる私しの信心を頂いておられる、私しならばどうするだろうか。私ならばどういう心持ちで今日のお祭りを頂かれるだろうかという様なところに。焦点をおいて皆さんに出来るだけの、私しの信心日頃の信心をもって、今日のお祭りを拝ましてもらわなければならないと思います。
   どうぞ。